◆4番(勝浦 敦 議員)
4番、勝浦敦でございます。議長のお許しをいただきましたので、請願第3号「安全保障関連法案の審議に当たり慎重な取扱いを求める意見書」の提出を求める請願に賛成の立場から討論いたします。
本請願は、昨日までが会期でありました今国会において審議されておりました平和安全法制整備法案、国際平和支援法案など安全保障関連法案について国会において慎重かつ十分な審議を尽くすことを求めるものでございました。しかし、9月19日未明、安全保障関連本案の採決を強行しました。良識の府にあるまじき採決であったと感じた方も多いかと思います。多くの憲法学者や日弁連、内閣法制局長官経験者に加え、最高裁元長官や判事経験者からも、違憲、政府の論理における正当性の欠如等さまざまな指摘がなされていた安保関連法案でありますが、違憲性への疑念はますます深まっております。
安倍政権は、安全保障環境の変化を理由に、必要最小限度の武力行使の範囲に限定的な集団的自衛権は入るとして、1972年の政府見解や1959年の砂川事件最高裁判決を根拠に、集団的自衛権行使のための法整備が合憲であると主張していきましたが、憲法の番人と評される内閣法制局長官経験者に加え、最高裁判所の元長官、判事経験者からも違憲であるとの指摘がなされ、審議でも72年見解や砂川事件最高裁判決が集団的自衛権合憲の根拠になり得ないことが明らかになりました。72年見解の作成に当たった吉国法制局長官は、砂川判決に触れた上で、集団的自衛の権利は行使でないと答弁で明言しており、公述人となった濱田元最高裁判事も、72年見解をもって限定的な集団的自衛権は認められるとする政府の主張は法律専門家の検証に耐えられない、裁判所では通らないと指摘するとともに、日本の自衛権が争われたわけではない砂川事件判決を根拠にすることも間違っていると断言したわけであります。
そして、国会で衆参合わせて200時間以上審議された中で、議論をすればするほど矛盾が露呈し、疑問が深まり、大臣の答弁も苦しいものとなり、首相が集団的自衛権の必要性を説明するために持ち出したイランによる海上封鎖前提のホルムズ海峡機雷掃海については、特定の国が機雷を敷設することを想定していないなどとして、必要性を事実上撤回し、邦人輸送中の米艦防護についても、邦人が乗っているかどうかは絶対的なものではないということが明らかになりました。要は、参議院での審議の中で根拠が失われ、立法事実すらないことが明らかとなったわけであります。立法事実がない、そんな法律を拙速に成立させてはならなかったとしか言いようがありません。
もしかしたら懐かしい話だと感じる方も多いかと思いますが、第6代警察庁長官、第45、47、48代内閣官房長官、副総理、ほかにもさまざまな要職を歴任され、カミソリ後藤田と評されていた故後藤田正晴氏の数々のエピソードの中に、第1次中曽根内閣で官房長官を務めていたときの有名なエピソードがございます。まさしく今、アメリカがアーミテージ・ナイレポートで日本に提言しているのと同様に、当時はペルシャ湾に自衛隊の掃海艇、機雷を取り除くための船舶を出せというアメリカの強い要求があったそうでして、後藤田官房長官は、絶対にいけないと。てこでも譲らず、これを認めるなら自分は官房長官をやめると言ってまで中曽根総理を説得し、結局とめさせたというエピソードがございます。
私は、今回の件に関しても、保守の矜恃、保守のプライドというものは必ずあると、そう思っています。今も昔も憲法遵守義務には右も左もございませんし、だからこそ、戦後の政治をつくり、これまで集団的自衛権の行使を違憲とし、海外で武力行使をしてこなかった、その歴史を私たちは守っていくべきであり、戦後70年間にわたる営々とした営みの中で不戦の誓いを立て、先輩たちがどれだけ与野党を超えて、党派を超えて、思いを込めて惨禍を繰り返さないために努力をしたのか、そのことを胸に刻むべきだ、そう思っています。
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海外で武力行使をしないこと、非核三原則、武器輸出三原則、平和憲法を掲げて戦後70年を築いてきたことは、日本の財産だと思っています。日本製の武器が世界の子供たちを殺さなかった、これはまさに日本の財産、まさに誇っていいことです。しかし、安倍内閣は、武器や原発を売り、武器輸出三原則を見直し、弾薬を提供しようとしています。私たちは、戦争の被害者にも加害者にもなってはなりません。そして、対テロ戦争、憎悪と報復の連鎖の中に日本が入っていけば、どれだけ日本は多くのものを失っていくでしょうか。保守の矜恃というものがあった先輩たちは、戦争をしない、海外で武力行使はしない、そのために政治を行ってきたのです。なぜそれを壊そうとするか、理解に苦しみます。これは、私たちが単に2015年9月にやることではなくて、日本の戦後の出発点と戦後の70年間、立憲主義も民主主義も、この法案によって壊されるリスクがあるということが問題なのであります。
尾崎行雄、憲政の父と言われております。その尾崎行雄の言葉でありますが、これをあえて朗読したいと思います。元来議会なるものは、言論を戦わし、事実と道理の有無を対照し、 正邪曲直の区別を明かにし、もって国家民衆の福利を計るがために開くのである。しかして、投票の結果がいかに多数でも、邪を転じて正となし、曲を変じて直となすことはできない。故に、事実と道理の前には、いかなる多数党と言えども屈従せざるを得ないのが、議会本来の面目であって、議院政治が国家・人民の利福を増進する大根本は、実に、この一事にある。しかるに、表決において、多数さえ得れば、それで満足する傾きが有る。即ち、議事堂とは名ばかりで、実は表決堂である。
最後になりますが、誠実とは思えない答弁に加え、審議の前提である資料要求や政府統一見解も理事会預かりのままたくさん積み残され、2回目の参考人質疑、衆議院並みの野党質疑時間の実施、統合幕僚長の招致なども行われおらず、民主、維新の共同修正案の審議もなく、5党合意の説明も議論もないなど、慎重に審議が尽くされたとは到底言えません。国民への説明も不十分、理解も深まっていない。法案の合憲性や必要性などに疑問が突きつけられる中、採決に突き進んだことは言語道断であり、断じて認められないことであることを申し述べて、私の賛成討論といたします。
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蓮田市議会 平成27年 9月定例会 9月28日 請願第3号(H27_0928_teirei.pdf 949KB)
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